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2019年 3月 5日 大学受験でしか得られなかったこと。失敗したけど得られたかけがいの無い3つ【須田ver.】

 


 

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こんにちは、

最近、花粉症、片頭痛と

体調不良ばかりの須田です。

 

今回のテーマは、

 【受験で得たもの】須田verです。

 

私は、

知っての通り、

第一志望校に落ちました。

 

なので、

大学受験から得られたものは

望まない大学からの合格通知だけ…

と思われがちですが、

大学受験で得られたものは、

何物にも代えがたい、

一生ものの財産だったと思います。

 

それを今から書き綴っていこうと思います。

 

ひとつ、

それは努力する際の

コツとでも言いましょうか。

 

結果を出すための

最適な努力を、

自分の力で導き出すことが出来ました。

 

巷に言われていることで

良く聞くのは、

大学受験は暗記、つめこみの学習だけ、

だから役に立たない。

英語も話せるようにならないし、

古文なんてこの先使わない、

だから今の教育は意味がない、と

いった意見などです、

 

私は受験勉強に意味がないとは思いませんので、

そういった意見には賛成できません

 

英語は大学生になってから

スピーキングなど英語4技能の内で

応用的な分野における基礎になりますし、

論文を読む際の基礎読解力になります。

多くの大人が大学時代に

英語を話す正しい訓練を積まなかったのでしょう。

 

古文だって、

言語が常に変化しうるものだということを

実体験を持って感じることが出来ますし、

抽象的な文の読解力を上げることが出来るということは、

良く知られていることです。

 

大学受験を議論するとき、

多くの人は、

大学受験で得られる

知識など結果にフォーカスしがちですが、

それを手に入れるための、

プロセス、課程に着目する人は、

少ないように思えます。

 

しかし、私は、

大学受験は、

その過程にこそ価値があると思います。

 

学校行事、

部活など、

時間的制約が多くある中で、

英国数理科社会の

膨大な範囲を理解して、

応用するのはかなり難易度が高いことだと思います。

 

言い換えれば

自分の持っている「時間」という

限りあるリソースを、

どこにどれだけ注げば、

最大限の成果を得られるかを、

自分で考え、工面しなければいけません。

 

私は中学受験しか経験したことがなく、

大した中学を受験したわけではなく、

中学受験は難なくクリアしましたが、

その時は両親に指示を仰いでもらったり、

塾でもらった課題をこなすことに専念していたことが殆どだったので、

合格という状態から逆算して

自分のやるべきことを考え、

それを実行することをしていませんでした。

でも大学受験は違います。

 

大学は今後の人生を大きく左右するものだし、

範囲もより広く、複雑になるので、

親御さんやわれわれ指導者が

みんなの進路を強要したり、

学習状況を把握しきるにも

限界があります。

そのため、

大学受験は自ら考え、

自ら計画し

それ実行しきる力が求められます。

 

どんな力を付けたかも

確かに大事ですが、

力を「どう」付けたかも

同様に、いや、

それ以上に大事です。

 

努力するときのコツと書きましたが、

コツとは、

目標から逆算して、

必要な努力を導きだし、

計画を立て、

それを実行しきる一連の流れを指します。

 

こういった「コツ」は

大学受験のみならず、

大学に行っても、

恐らく社会人になっても、

大事なものになるでしょう

結果を出さなきゃいけない局面なんて、

これからいつ何時でもついてくると思いますから。

 

二つ目は、

「大敗北」を喫した経験を積むことが出来たということです。

 

大学受験は、

人生でもっとも

圧倒的に負けたな

と思っています。

 

小学校4年生の時から

バスケを部活で取り組んでいましたが、

私はバスケを真剣に取り組んだことはあまりなく、

中学受験もイージーゲームだったので、

大学受験が人生で初の、

自身の人生を賭する、

自身の全力を以て負けた勝負となりました。

 

私はいつになっても、

おそらく一生、

この勝負に負けたことは

忘れられないですし、

忘れたくもないとも思っています。

 

なぜなら、

先ほど、「勝負」と書きましたが、

この勝負とは、

皆さんがイメージする、

1対1の他者、敵を前提とするものではなく、

これは自分自身との戦いです。

 

怠ける自分を征服し、

向上する自分を前面に出すことを

継続させる闘いなのです。

 

私は自分との戦いに負け、

強烈なコンプレックスを持っていますが、

このコンプレックスが

私を奮い立たせる根源でもあります。

 

大学には、第一志望として今通っている大学生、

そうではない大学生、

推薦で入っていきた大学生、

様々な大学生がいますが、

自分の夢に向かって真剣に努力している大学生は、

ほんの一握りです。

 

その理由は、

おそらく、高校までの学習で、

正解が決まっている問いに取り組むことはしてきたものの、

自分で問いを作って、

そこに向かって自分で敷いたレールの上を、

自分のルールで突っ走っていく人は、

非常に少ないです。

 

しかし、

このような「学び」こそ、

大学での学びですし、

教科書に書かれたことを

隅から隅まで覚えるより、

教科書に新たな1ページを作り出すような

学びこそ、大学での学びです。

 

その様な、「学び」の質的な変化に気づいていない、

行っていない大学生がほとんどですが、

私は違います。

 

私はそこらの大学生とは

一味も二味も違います。

大学受験で失敗した経験が、

私を奮い立たせています。

 

私は、こんな偉そうなこと言っていますが、

大学に入った理由も非常に曖昧なので、

第一志望に落ちていなかったら、

朱に交わった赤だったことでしょう。

 

3つ目は、

教育業界での仕事の楽しさに気付けたことでしょう。

 

第一志望校に落ちた経験を

行動の根源にして、

行動に移したということを話しましたが、

移した行動の一つとして、

やって良かったと思うことが一つあります。

 

担任助手という仕事です。

 

私は、受験生の時、

担任助手には、

そもそも教育に、

興味がありませんでした。

 

しかし、

第一志望校の受験に失敗したという経験を活かして

後輩の育成ができないものか、と

考える契機になったのは

他でもない大学受験のおかげです。

なので、第一志望校に合格していれば、

担任助手という仕事には

就いていなかったでしょう。

 

1年目の去年は、

目の前の生徒一人ひとりを、

第一志望校に合格させたい、

その一心でがむしゃらに仕事していました。

 

そして、私が1年間指導してきた生徒たちが、

第一志望に合格して行くところを見るのが

とてもやりがいを感じたところでした。

 

そして、今年、

2年目。

 

1年目は、

生徒一人ひとりが

受験に成功してほしい一心で、

教育をやっていましたが、

ふと心にある疑問が思い浮かびました。

 

私の行っている教育が、

本当に「独立自尊の社会世界に貢献する人財」を育成させられているのか、

私の存在は本当にこの校舎で教育をやるのに必要なのかといった疑問です。

 

なので、2年目は、

第一志望に合格させるだけの教育なら、

私じゃなくてもいいのではないか、

と悩んだり、

2年目になっても

チャランポランな大学生を見て、

自分の生徒には、

大学生になっても努力し続ける力を

引き出させてあげることが出来たのだろうかと、

最初の半年くらい、

本気で悩みました。

 

他でもない「私」自身が八千代台校で

教育をしている意味なんてないという結論のまま、

タスクを消化していただけの時期も

あったくらいでしたからね。

 

そこで、私は東進の1スタッフということで、

東進が教育をやっている理由に立ち返りました。

東進は「教育による日本再興」というミッションを、

独立自尊の社会世界に貢献する人財を育成するという

教育理念を追求することで、

達成していこうとする予備校です。

 

それ以来、

教育の社会的意義、

教育の問題点、

今求められている教育を追求しようと、

読書したり、大学で教育の講義を入れてみたり、

する中で、教育について必死に考えました。

 

ここで、私がたどり着きそうな結論や、

辿った思考回路について書くと、

非常に冗長な文章になってしまうので、

控えますが、

ひとつ確実に言えることがあります。

 

大学受験は、1つ目のところに書きましたが、

人として圧倒的成長が出来る機会です。

 

結果がどうあれ、

ひとつの目標に向かって全力で努力すること

非常に尊い経験ですし

大学という場所は自身の人生を、

大きく左右する場所なので、

どの学問を選択し、

どんなインパクトを社会に残したいかを、

大学受験は、考える機会になります。

 

自分自身、

大学受験で死ぬほど努力した身であり、

教育についてたくさんの知識を蓄えていく過程で、

課題意識を持つことが出来ましたし、

生徒一人ひとりが

将来、本当の意味で活躍してもらうために

みんなに志を持ってもらうために機会を与え続けたり、

将来を考えるために社会の動向を伝えるイベントを企画したり・・・

自分が持つ視点でやれる教育がまだまだあると気付き、

それを一つずつやっていくことが、私がこの八千代台校で

教育をやる意味なのかなと考えました。

話しが大きく逸れましたが、こんなことを考える気かっけになったのは

担任助手になったからですし、

担任助手になろうと考えたのは大学受験の失敗ありきです。

 

そんな、多くの生徒にとって、

人生の一大イベントに、

自分の影響力を生徒に及ぼすことで、

彼らの人生に少しでもプラスの影響を残せる経験をすることが出来たし、

教育についてたくさん知識を蓄えることが出来たし、

担任助手をやっていてよかったなぁ、と

良かったと真剣に考えています。

 

それというのも、

大学受験の失敗という

原動力があるからであり、

大学受験は人生の大きな転機だったと、

結果的に考えていますし、

大学受験から多くのことを得ることが出来ました。

大学受験をしていてよかったと思っています。

 

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明日は

榊原担任助手が更新します。

 

前世はウサギだった(?)

彼女は何を語るのでしょうか。

 

お楽しみに。

 

 

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